コスプレの歴史について

定義
アニメ、漫画、ゲーム、歌手等の愛好者が、気に入ったキャラクターの着ている衣装を真似て作った服を着て、そのキャラクターになりきること。またはその格好のこと。それらのジャンルの愛好者や同人サークルが集まるコミックマーケット同人誌即売会を始めとする各種イベント、また、ビジュアル系バンドのライブ会場等の場所で見かけられる。

コスプレの起こり
古くからハロウィンで仮装する伝統があるアメリカでは、1960年代後半からSF大会等のイベントにおいて、『スタートレック』等のSF作品に登場する人物の仮装大会 (masquerade) を行なっていた[2]。日本においてもアメリカで主に開かれる世界SF大会ワールドコンの影響を強く受けた日本SF大会で1960年代末から1970年代に既にコスチューム・ショーとしてプログラムの中に取り入れられていた[3][4]。日本SF大会におけるコスプレは、1974年の京都大会からショウアップが行なわれて、翌年から定着したという[3] 。1978年に神奈川県芦ノ湖で開催された第17回日本SF大会の仮装パーティーに於いて、当時はファンの一人だったSF評論家の小谷真理が、エドガー・ライス・バローズの『火星の秘密兵器』(創元SF文庫)の表紙イラスト(武部本一郎によるもの)を真似た格好で参加[5]。[要出典]他の参加者がその姿を見てアニメ『海のトリトン』の仮装だと勘違いし、本人も強く否定しなかったことから、いつの間にかトリトンが日本のコスプレ第1号と言われるようになったとされる。その後も日本SF大会ではコスプレのコンテストが行なわれた[6]。

同人誌の即売会等でもコスプレは行なわれており、単にアニメの仮装と呼ばれていたマンガやアニメの扮装をすることをコスチュームプレイと呼ぶようになったのは、同人誌即売会コミックマーケットコミケットコミケ)代表者の米澤嘉博を中心したメンバーだった[7]。米澤は、元は少女マンガの同人作家やファンがコミケをお祭りの場として派手な格好をしていた中から、アニメのキャラクターの扮装をする者が現われ、徐々に増えていったとしている[8]。アニメやマンガのコスプレが登場する以前のコミケでは、自分が愛好するロック系の衣装を身につける事も行われていたが、1977年になってコミケにアニメ『海のトリトン』の衣装をした少女が登場して注目を集め、その次の回には『科学忍者隊ガッチャマン』のコスプレが登場し、徐々に広まっていった[3] 。

日本のメディアではアニメ雑誌等が同人誌即売会に関連してコスプレを少しずつ取り上げ始めたが、特に大きく取り扱ったのは、ラポート発行の『ファンロード』1980年8月号(創刊号)で、同誌は、当時原宿を席巻していたタケノコ族を捩り、原宿にコスプレ集団「トミノコ族」が現われたとする「特集記事」を掲載した。「トミノコ」は『機動戦士ガンダム』の富野由悠季監督に由来するもので、記事には『機動戦士ガンダム』の登場人物やモビルスーツガンダムの仮装をした人々が踊っている写真が掲載された。実際には、当時そのような風俗は存在せず、これは報道記事の体裁を採った映画宣伝企画だった。[3]。

1985年になると、TBSがテレビ番組でコミケを取材して、多くのコスプレーヤーに取材を行なった [3]。テレビでは1989年になって、テレビ番組『はなきんデータランド』(テレビ朝日系、1989年 - 1995年)が、アニメランキング特集を行った際にコスプレランキングも発表していた。

1985年頃には、同人誌界で人気だった『キャプテン翼』のコスプレが、Tシャツの改造やユニフォームショップに注文するだけの手軽さから拡大する。1986年からは集団で行なうコスプレが発生したと言われ、同時期にはコスプレを撮影するアマチュアのカメラ小僧と言われる人々が現れる。[9]。

一方、1988年頃から、同人誌即売会でのコスプレは混雑やマナー、露出のエスカレートの問題などから、禁止とするイベントも増えていった[3] 。

アメリカでは、1970年代後半にSF映画スター・ウォーズ』の人気によりコスプレはポピュラーとなり、日本のアニメ人気によりアメリカ全土で行なわれるようになったアニメコンベンションなどのイベントでは日本の漫画やアニメのキャラクターに扮する光景が見られるようになっている。そこでは従来の masquerade ではなく、和製英語由来の cosplay の名称で呼ばれている[10]。