コスプレの分類

「キャラクターになりきること」を目的としているため、漫画、アニメ、ゲーム他の分類とコスプレの分類も一致する。「見せる為のコスプレ」という側面から派生した物もある。特定の職種や固有の制服を有する団体・企業のコスプレも見られる。


漫画・アニメ・ゲーム系
各作品の登場人物の衣装や持ち物を個別に再現した物がコスチュームとして製作されるほか、特定のキャラクターの衣装ではなく、登場人物の通う学校や所属する組織の制服を再現した物も存在する。

魔法少女
SF
少年漫画・少女漫画
ゲームキャラクター
特撮ヒーロー
ディズニーキャラクター

制服系
職業制服
ウェイトレス
交通系(鉄道・バス等の運転士・車掌・バスガイド等、船舶の船員、航空機のパイロットやキャビンアテンダント等)
バニーガール
レースクイーン・キャンギャル
巫女装束
修道女(シスター)
ナース、医者、
医療系とも呼ばれ、ホスピタル・ホラーをイメージした血糊や包帯などを用いる。ゴス系ファッションと混同されることもある。
メイド
警察官・消防吏員、その他公務員の制服(国内外、時代の新旧は問わない)
公的に重要な職責を持つ警察官、消防吏員自衛官、警備員、看護師などのコスプレは、偽物の制服を着用しても軽犯罪法違反に問われる可能性があることと、事件などが発生した際、本物との区別ができなくなるといったトラブルの原因にもなるため、コミックマーケットなど大規模なイベントでは禁止される場合があるが、ミニスカポリスのように、モチーフが制服であっても極度に非現実的な物であれば黙認される例もある。軍装コスプレパーティーラジオライフの「ペディション」など、そうしたコスプレを行うこと自体が目的のイベントでは普通に着用されているが、そのようなイベントにおいては、コスプレしたままで会場外へ出ないよう、参加者に事前の注意がされる。

コスプレの1990年代の発展

1990年代にコスプレの人口は増大し、コミケコスプレイヤーは1991年には約200人、1994年に約6000人、1997年には約8000人を数えた[3]。

アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の流行等でサブカルチャーに注目が集まるようになり、コスプレという用語・行為も普及した。 90年代初頭のビジュアル系バンドブームの火付け役となるX JAPANのライブではファンによる凝ったコスプレが披露され、これは2007年の復活後にも少数ながら見られた。

その頃から商業資本もコスプレに着目するようになった。従来コスプレ衣装はコスプレイヤーによる自家製によるものしかなかったが、それらを既製服として製作・販売する業者「コスチュームパラダイス」(現・コスパ)が現れた。これは製作者の技術に出来が左右される自家製の物に対して、一定レベル以上の品質を保っていたために人気を集め、ブランドを確立している。コスパの成功以後、こうしたコスプレ衣装製作業社が増えた事で更に市場は拡大していった。

イベントについても、それまではコミックマーケットを始めとする同人誌即売会や、ワンダーフェスティバル日本SF大会等において付随的に行われていた状態から、コスプレ単独のイベントも開催されるようになった。 形式としては、コスプレをしてダンスミュージックやアニメソングに合わせて踊る「コスプレダンスパーティーや、コスプレイヤー同士が互いに交流や撮影を行ったり、アマチュアカメラマン(カメラ小僧)に撮影の場を提供する物などがある。

イベント会場は、東京ファッションタウン(TFTホール)や大田区産業プラザ(Pio)といった各種展示会場等が使われるが、ダンスパーティー形式ではディスコやクラブ等が使われる事もある。また、後楽園ゆうえんち(現東京ドームシティアトラクションズ)がハロウィンの仮装イベントとして始めたコスプレイベントが切っ掛けとなって、各種遊園地やテーマパークでもイベントが行われるようになった。これとは別に、「東京ゲームショウ」や「キャラフェス」、「DreamParty」等といったコスプレが可能な展示会等の各種イベントも開催されるようになっている。「コスチュームカフェ」と呼ばれる制服専門の同人誌即売会・コスプレイベントや、特定のジャンルのコスプレに限定したイベントも開催される。

同人誌即売会やコスプレイベント情報を集めた情報誌が同人誌として発売され、インターネットの普及以後は情報サイトも登場した。コスプレ専門のムック・雑誌も発行され[11]、2007年現在では『COSMODE』(インフォレスト)、『電撃Layers』(メディアワークス)、『CosCure』(livedoor Cure・双葉社)などがある。


広がりを見せるコスプレ
1990年代末以降になると、店員がコスプレ衣装を着用してサービスを提供するコスプレ系飲食店や風俗店が登場し、女優がアニメやゲームキャラの衣装を着用して登場するアダルトビデオ等も販売され、キャットファイトDVDでもメイドやレースクイーン、その他制服物衣装が着用される様になった。

1990年代末 - 2000年代以降になると、インターネットの普及でコスプレイヤー各自がホームページを作成するようになり、ネットアイドル的要素を包含するようになる。更には自主制作・同人レベルでコスプレ写真集やCD-ROM写真集を作成、同人誌や同人ソフトとしてコミックマーケット等で直接、若しくは同人誌専門店を通じて頒布するコスプレイヤーやカメラマンも出るようになった。

撮影の場は各種イベントだけではなく、コスプレイヤーやカメラマンが自主的に主催する個人撮影会、イベント会社やモデル事務所がコスプレイヤーと契約する形で、写真撮影会が行われる事もある。秋葉原歩行者天国でコスプレ系飲食店や各種ゲーム等の宣伝活動を行っている店員やコスプレイヤーを撮影する事例もある。

アニメやゲーム等の宣伝要員として、人気のあるコスプレイヤーを「公式コスプレイヤー」として起用する例もある。もとは無名でも、公式コスプレイヤーになった事で知名度を高めた月宮うさぎ等の例もある。

中には芸能事務所に所属し、タレントや俳優(AV女優含む)、イベントコンパニオンレースクイーンキャンペーンガール、ファッションモデルを始めとするとするモデル業、声優等として活動する者おり、アイドルやタレント、声優等がイベントやプロモーション、グラビア写真上でコスプレをする事例もあり、自身の趣味がコスプレであることを公言する者も居る。

2003年からはテレビ愛知テレビ東京系)が主催となって、名古屋市内を会場とし、世界各地の著名なコスプレイヤーを日本に招いて「世界コスプレサミット」を開催するようになった。コスプレサミットは2005年は名古屋市内だけではなく愛・地球博会場でも行われ、ネット関連でライブドア(世界最大のコスプレコミュニティサイト「Cure」を傘下に持つ)の協力を得ており、2006年は大須夏まつりにて開催され、外務省・国土交通省の後援を得るなど、年を追う毎に大規模化している。2005年は欧米と中国の6国で、2006年には更にタイやブラジルでも予選が行われている。

2005年11月15日に紀宮清子内親王黒田慶樹と結婚した際に、結婚披露宴で着用したウェディングドレスは、『ルパン三世 カリオストロの城』のヒロインであり、劇中に登場するカリオストロ公国大公家の継承者であるクラリス姫のウェディングドレスを模したものだった。

2006年5月には、コスプレイベントの参加者が、現在のコスプレが抱える問題点を参加者の視点から解決すべく、「コス援護会」を市民団体として結成。「コスプレの健全な普及啓発及び防犯活動」を主目的に「クオリティオブライフ」の精神を掲げ、2007年8月31日に神奈川県庁の認証を得て、日本のコスプレ界で初となるNPO法人(非営利法人)を取得し、平成20年1月より法人組織として本格的な活動を開始した。[1]

2007年8月には衣装製作会社などが非営利法人「日本コスチューム協会」の設立準備委員会を発足、参加企業を募った上で、年内に正式に協会を発足すると発表した。同協会では日本のコスチューム文化の啓蒙や健全な発展を目的とし、定期的なイベントやコンテストの開催、SNSサイトなどを通じてのコスプレイヤーやコスプレファンの情報交換の場の提供、コスチューム製品の品質維持・消費者保護体制の確立・市場統計調査、PR活動・認知活動などを行っていくとしている。

コスプレの歴史について

定義
アニメ、漫画、ゲーム、歌手等の愛好者が、気に入ったキャラクターの着ている衣装を真似て作った服を着て、そのキャラクターになりきること。またはその格好のこと。それらのジャンルの愛好者や同人サークルが集まるコミックマーケット同人誌即売会を始めとする各種イベント、また、ビジュアル系バンドのライブ会場等の場所で見かけられる。

コスプレの起こり
古くからハロウィンで仮装する伝統があるアメリカでは、1960年代後半からSF大会等のイベントにおいて、『スタートレック』等のSF作品に登場する人物の仮装大会 (masquerade) を行なっていた[2]。日本においてもアメリカで主に開かれる世界SF大会ワールドコンの影響を強く受けた日本SF大会で1960年代末から1970年代に既にコスチューム・ショーとしてプログラムの中に取り入れられていた[3][4]。日本SF大会におけるコスプレは、1974年の京都大会からショウアップが行なわれて、翌年から定着したという[3] 。1978年に神奈川県芦ノ湖で開催された第17回日本SF大会の仮装パーティーに於いて、当時はファンの一人だったSF評論家の小谷真理が、エドガー・ライス・バローズの『火星の秘密兵器』(創元SF文庫)の表紙イラスト(武部本一郎によるもの)を真似た格好で参加[5]。[要出典]他の参加者がその姿を見てアニメ『海のトリトン』の仮装だと勘違いし、本人も強く否定しなかったことから、いつの間にかトリトンが日本のコスプレ第1号と言われるようになったとされる。その後も日本SF大会ではコスプレのコンテストが行なわれた[6]。

同人誌の即売会等でもコスプレは行なわれており、単にアニメの仮装と呼ばれていたマンガやアニメの扮装をすることをコスチュームプレイと呼ぶようになったのは、同人誌即売会コミックマーケットコミケットコミケ)代表者の米澤嘉博を中心したメンバーだった[7]。米澤は、元は少女マンガの同人作家やファンがコミケをお祭りの場として派手な格好をしていた中から、アニメのキャラクターの扮装をする者が現われ、徐々に増えていったとしている[8]。アニメやマンガのコスプレが登場する以前のコミケでは、自分が愛好するロック系の衣装を身につける事も行われていたが、1977年になってコミケにアニメ『海のトリトン』の衣装をした少女が登場して注目を集め、その次の回には『科学忍者隊ガッチャマン』のコスプレが登場し、徐々に広まっていった[3] 。

日本のメディアではアニメ雑誌等が同人誌即売会に関連してコスプレを少しずつ取り上げ始めたが、特に大きく取り扱ったのは、ラポート発行の『ファンロード』1980年8月号(創刊号)で、同誌は、当時原宿を席巻していたタケノコ族を捩り、原宿にコスプレ集団「トミノコ族」が現われたとする「特集記事」を掲載した。「トミノコ」は『機動戦士ガンダム』の富野由悠季監督に由来するもので、記事には『機動戦士ガンダム』の登場人物やモビルスーツガンダムの仮装をした人々が踊っている写真が掲載された。実際には、当時そのような風俗は存在せず、これは報道記事の体裁を採った映画宣伝企画だった。[3]。

1985年になると、TBSがテレビ番組でコミケを取材して、多くのコスプレーヤーに取材を行なった [3]。テレビでは1989年になって、テレビ番組『はなきんデータランド』(テレビ朝日系、1989年 - 1995年)が、アニメランキング特集を行った際にコスプレランキングも発表していた。

1985年頃には、同人誌界で人気だった『キャプテン翼』のコスプレが、Tシャツの改造やユニフォームショップに注文するだけの手軽さから拡大する。1986年からは集団で行なうコスプレが発生したと言われ、同時期にはコスプレを撮影するアマチュアのカメラ小僧と言われる人々が現れる。[9]。

一方、1988年頃から、同人誌即売会でのコスプレは混雑やマナー、露出のエスカレートの問題などから、禁止とするイベントも増えていった[3] 。

アメリカでは、1970年代後半にSF映画スター・ウォーズ』の人気によりコスプレはポピュラーとなり、日本のアニメ人気によりアメリカ全土で行なわれるようになったアニメコンベンションなどのイベントでは日本の漫画やアニメのキャラクターに扮する光景が見られるようになっている。そこでは従来の masquerade ではなく、和製英語由来の cosplay の名称で呼ばれている[10]。

コスプレ装について

コスプレはコスチューム・プレイを語源とする和製英語で、仮装の意。狭義では、アニメなどの登場人物のキャラクターに扮する行為を指す。

コスプレを英語表記する際に、語源からCosplayと記述したため、綴りとしてもCosplayが用いられる事があり、英語圏でも通用する[1]。

コスプレを行う人の事をコスプレイヤー (Cosplayer) と呼ぶ。愛好者内の俗称ではレイヤーと略称される事もある


アニメ、漫画、ゲーム、歌手等の愛好者が、気に入ったキャラクターの着ている衣装を真似て作った服を着て、そのキャラクターになりきること。またはその格好のこと。それらのジャンルの愛好者や同人サークルが集まるコミックマーケット同人誌即売会を始めとする各種イベント、また、ビジュアル系バンドのライブ会場等の場所で見かけられる。